単に言葉の裏を読むということならば、アイドルを続けるにあたって、何か志や矜持があるかどうかという意味が妥当だと思います。
ここからは単なる余談ですが…
アイマスのみならず、アイドルコンテンツでは往々にして目標が芽生えてそれに進むというのが王道の流れですが、天塵ではそこがあやふやのまま各々のやりたいようにやって物語が終わります。
個人単位で「アイドルがいる人」になってるのはきっと小糸ぐらいですが、ユニットのノクチルとしてはアイドルがいないままでしたし、結局いないまま花火大会での公演を行い、そのパフォーマンスは誰にも見られず、4人は波打ち際で愚痴を叫びました。
ただ、その時のノクチルの姿が「アイドルがいる人になるべき」という考えを持つプロデューサーの心を打ち、心打たれたプロデューサーは「今のような何にも囚われない輝き方だってありなんじゃないか」と、悟ったような感情が芽生えました。
大きく言えば、いわば透が発したその問いというのが「アイドルがいる人であるべきか否か」という、アイドルコンテンツの在り方そのものへのアンチテーゼに繋がってるんじゃないかとも考えられます。